寿式三番叟 新版歌祭文野崎村(久作宅より引船まで) 口上 奥州安達ヶ原三段目(袖萩祭文の場) 舞踊 忠臣藏増補本藏下屋敷
佐見歌舞伎は、平成3年に37年ぶりに復活して以降、市川福升師匠のご指導のもと、歌舞伎舞台を行ってきました。福升師匠は、下呂市金山にお住まいで、お稽古のある期間は、佐見まで毎日お越し下さっています。 福升師匠と佐見歌舞伎との出逢いは、1993年。 佐見歌舞伎を復活させようと杉山さんが息子さんを通じて連絡を取ったのが始まりです。 「佐見・・・、確か、佐見は歌舞伎が好きな人が多いと聞いたことがあるけれど・・・。でも、あそこは芝居小屋がないでしょう。」 一から歌舞伎舞台の準備をするのは、並大抵のことではないのそうです。 ましてや、芝居小屋がない佐見では、歌舞伎をするための舞台を上演する体育館にそのたびに設置しなければなりません。莫大なお金がかかる・・・。 歌舞伎を復活させるための一連の顛末は、雑誌「岐阜人」に掲載されていますので、ぜひこちらのページをご覧ください。 そんな佐見歌舞伎を見守り続けた福升師匠。 「私は詳しくは知らないけれど、当時、地元の製材さんや大工さんたちがみんなで協力してなーんでも作っちゃったのよ。ほら、花道だって作っちゃって。幕も、ミシンで縫って輪っかをつけてねぇ。ぜーんぶ作っちゃったのよ。」
「たくさんの歌舞伎を教えてきたけれど、佐見の歌舞伎の演目や誰がやったかは不思議と覚えているのよね」 と、目を細めて微笑んでくださいました。 私たちは福升師匠にご指導いただけて、とても幸せです。 市川福升師匠とのエピソードが映画「レオニー」監督である松井久子監督のブログにありました。福升師匠が、市川少女歌舞伎に出演されていたときのお話です。ぜひ、ご覧ください。<マイレオニーブログ記事はこちらです>